須佐のみどころ

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No みどころ写真 みどころ名称・内容
1 須佐ホルンフェルス 須佐ホルンフェルス
高山(こうやま)のふもとにある大自然の造形美。
日本海の荒波を受けながら、海底からくっきりと浮かびあがるストライプの美しい姿は、山陰・南日本海、 そして須佐のランドマークとして遙か昔から親しまれてきました。
山口県を代表する観光地で、毎年多くの観光客で賑わいます。
2 高山(神山)こうやま 高山(神山)こうやま
標高533メートル 日本海に突出した半島部にそびえる高山は、 昔から航海の目印とされてきました。
太古、須佐之男命が朝鮮半島(当時新羅)に往来したとき、この山に登り海路を望んだので、 高山(神山)と云われたと伝えられています。今では、自家用車で山頂まで行けるようになっており、 山頂展望台も設置され、中国地方一といわれる海岸隆起の山の頂から眺める風景は、 水平線と山並みが一度に見れる360度のパノラマ。
風光明媚な須佐湾もきれいにご覧になれます。 また、山頂付近には、方位磁石も狂わせる強い磁性を帯びた高山磁石石があります。
3 須佐湾 須佐湾
須佐湾は萩市(旧須佐町)にある、日本海に面する小湾。昭和3年に国の名勝及び天然記念物に指定されており、 北長門海岸国定公園を代表する景観の一つです。
湾の内部は穏やかな入り江が見られる一方で、外部は勇壮な断崖が連続し、縞模様の断層で知られる、 須佐ホルンフェルスがあります。
4 畳ケ淵 畳ケ淵
玄武岩の柱状節理が整然と並び、河床には六角形の敷石が並べたような姿が5kmにわたり続いています。
これらの岩石は第4紀更新世のころ伊良山の噴火で流れた溶岩が冷えて固まるときに規則正しく割れてできたものです。
5 道永の滝 道永の滝
阿武町伊良尾山麓の洞穴から湧き出る清水が70mの高方から三段に落下。
年間通して尽きることのない水量は、弥富地区の水源となっています。 滝壺の傍らには洞穴があり、伝えによれば陶晴賢の残党が山伏となりこの地に逃れ、 洞穴に四国石鎚山波切不動明王を祀った。その子孫市高吉之兵衛は、 黄金の茶釜を洞穴内に秘匿していたと伝えられています。
6 須佐大橋 須佐大橋
国道315号の途上に唐津谷をまたぐように架けられた橋長313mのアーチ型の橋で、全国でも屈指の規模を誇っています。
7 笠松神社 笠松神社
益田家33代贈正四位親施(ちかのぶ)を祀っています。
親施は毛利藩筆頭家老として幕末国事に奔走しましたが、禁門の変の責を負って家老福原越後、 同国司信濃とともに元治元年(1864)11月12日徳山惣持院で切腹し32歳で生涯を閉じました。
須佐では旧臣によって笠松神社を建立し、高正大神として祀りました。 境内の鳥居と灯籠に刻まれた元治3年、4年の刻銘は君主の悲憤を想い、 徳川慶喜に応ずるの意を想わせる「慶応」の年号を認めぬ反骨精神の現われで、 美祢郡美東町大田の金麗社に同様のものがあります。
8 松崎八幡宮 松崎八幡宮
大化6年(650)宇佐八幡宮から勧請して松ケ崎に社殿が建てられて寛永16年(1639)現地に遷されました。
社前に並ぶ灯籠は、益田就恒はじめ親施など益田家歴代領主が、江戸参勤から帰国のつど奉納されたもので、 昭和51年12月16日須佐文化財に指定されました。
9 大薀寺(だいおんじ)「曹洞宗」 大薀寺(だいおんじ)「曹洞宗」
益田元祥(もとよし)(益田家20代)の時、弥富より現在地に移建し金瀧山大薀寺に改め、 益田家の菩提寺として寺領20石を賜りました。
裏山には、剣豪 多根卯一(たねういち)、育英館初代学頭 品川希明(しながわきめい) 同2代学頭 波田兼虎(はだかねとら)などの墓があります。寺内にある梵鐘(ぼんしょう)、 出山釈迦図等は萩市の指定文化財になっています。
10 萩市須佐歴史民族資料館 萩市須佐歴史民族資料館
萩毛利藩と歩んだ毛利藩永代家老益田家に関する歴史的遺産が保存展示されています。 須佐唐津焼、須佐地区の民俗資料などです。